政治とは?政治思想とは?for 初心者
選挙の投票率が低いという話がよくでますけど、平和だからこそだと思うんですよね。本当にヤバイ社会であったら、自然と投票率は上がると思います。世の中を変えたい、変えなきゃいけないと心から思うような状況であれば。
なので、投票に行く必要性を感じていない人は、特に理由もないのに無理やり投票先を決めてまで投票にいかなくてもいいのではないかなと思います。
と同時に、政治は興味を持つと選挙が待ち遠しくなるような面白さも秘めているので、もっと色んな人の身近になればいいのになと感じることも多いです。
ということで、今回は政治にあまり興味がない人向けに、とくに初心者向けに、政治を楽しむための前提(なんで選挙が必要なのかのヒント)を3つにわけて書いてみようかと思います。
(1)そもそも政治とは何なのか?
(2)政治って誰がやるの?
(3)どうやって判断するの?政治思想って?
(1)そもそも政治とは何なのか?
もっともシンプルに考えると、「政治」=「ルールをつくって、ルールを機能させること」かと思います。
たとえば、ルールがない世界に住んでいる住民は、極論ですが、フェラーリが欲しかったらフェラーリを持っている人を殺して奪い取ればいいわけです。奥さん100人つくろうが、旦那さん100人つくろうが、それで正妻の怒りを買って殺されようが無問題です。ルールがないので何の罪にもなりません。
一方、自分自身もいつだれに大事なモノを奪われても仕方がないですし、たとえ殺されてしまったとしても残念でしたねくらいの世界、それがルールのない世界=政治のない世界なわけです。
そんな世界ではまともに生きていけないので、「俺も奪わないから、お前も奪うな」「俺も殺さないから、お前も殺すな」のようなルールが必要になってきます。さらに、そのルールがあったとしてもルールを破る人が出てくるので、「破ったら死刑の罰を与える」のようなルール違反を抑止するような予防策も必要ですね。
こうやって「ルールをつくって、ルールを機能させること」が「政治」なわけです。
そう考えると、わたしたちが生きていく上で「政治」は絶対に必要不可欠なものではないでしょうか。
(2)政治って誰がやるの?
政治の必要性はわかったとして、では、誰が政治を行うのか。
大昔で言えば、絶対王政と呼ばれる政治体制で王様とか将軍とかが世の中を支配して政治を行うのがメジャーなスタイルでしたよね。日本で言えば徳川家とか。
なので、「土地はすべて王様のモノだから、死んだら返せ」とか「お前は奴隷だから過酷な肉体労働でタダ働きしろ」みたいな王様都合のルールばかりつくられて、国民は全然ハッピーじゃなかったと思います。
現代では国民が主権を持ち、自分のために政治を行う民主主義がメジャーですよね。王様ではなく国民ひとりひとりに権力がある。
ただ、この民主主義、日本で言えば1億人以上の国民全員が毎回どこかの場所に集まって自分たちのルールをつくったり機能させるのは規模が大きすぎて現実的ではないので、選挙によって自分の代わりになる者(代表者)を選んで、自分の権力をその代表者に託していますよね。で、その代表者たちは議会を通じてルールをつくったり、ルールを機能させたり政治を行うわけです。いわゆる、議会制民主主義。
なので、間接的ではありますが、自分のルールは自分で決められることになります。つまり、自分の代わりとなってルールをつくる者を誰にするのか、それを選ぶための選挙に行かないってことは、自分にとって不利なルールが作られたとしても仕方がないってことになります。
選挙に行かないってことは、極論ですが、「毎朝うんこを食わないと死刑です」ってルールができたとしても、甘んじて受け入れますということに等しいわけです。
選挙に行かないって、すごく怖いことなんですよね。
(3)どうやって判断するの?政治思想って?
右とか左とか、リベラルとかリバタリアンとかコミュニタリアンとか、何かしらの小難しいフレーズを聞いたことがあるかと思いますが、いろいろ考えると難しくなるので、初心者の人が政治に対して持つべき判断軸はまずは一つで良いかと思います。
その政治の判断軸は、自分自身や社会にとって「結果の平等」が大事なのか「機会の平等」が大事なのかです。ここを判断軸にしておけば、いろんな政党の政策の違いをそこそこ判断できますし、政治が少し楽しめるようになると思います。
では、「結果の平等」や「機会の平等」とは何なのか。
ひとつめの「結果の平等」とは、プロセスが何であれ結果が平等であるべきとする思想です。究極的には、努力した量や行動量とかは関係なく、すべての人に貧富の差がなく平等であることを追求するので、富める者からは国家が金を徴収し、貧しい者へ再配分していきます。
一見、ハッピーに感じるかもしれないですが、努力しても結果が同じなので、努力する人がいなくなってしまったり、優秀な人が国外逃亡してしまうデメリットがあります。
これの究極系が共産主義で、財産は共同所有してみんな平等にみんなで豊かになろうとする主義。
弱者に優しい社会というのは聞こえはいいですが、絶対に忘れてはならないのは強者のお金を使って弱者に優しくする仕組みなので、その優しさが行き過ぎると強者はこの国からいなくなってしまうので、国家が破綻する、あるいは弱者だけの国家になるリスクを抱えていたりします。
ふたつめの「機会の平等」とは、結果に差は出たとしても、誰にでも挑戦する機会は平等にあるべきとする思想です。たとえば、一部の企業や個人が潤うような既得権益や岩盤規制を許さずに、規制を緩和して、どの企業や個人でも平等に挑戦や競争できるような環境をつくることを追求していきます。その結果、勝者と敗者や貧富の差が生まれるわけですが、それは仕方ないよねというスタンス。
これの究極系が自由至上主義で、国家は国防と治安維持以外は口出ししないでください的な主義。
ただ、機会が平等だと、結果的に強者に優しい社会になるので、自由競争が行き過ぎると、弱者にとっては住心地の悪い世の中になるリスクを抱えていたりします。なので、セーフティネットであったり、挑戦して失敗した人への再挑戦への援助だったり、そういう施策がセットで考えられていないと、実質的に富豪の絶対王政化を招く危険性をはらんでいます。
完全なる「結果の平等」や「機会の平等」は無いとしても、どちらかが自分の考え方におおむねマッチすると思うので、そのマッチする考え方を判断軸にして、政治家の言っていることや政策が自分の考え方やバランスと比べてどうなのかジャッジしてみると、政治を楽しめるようになると思います。
また、2018年時点の政党で言えば、「結果の平等」ガッツリ推しだと、共産党、立憲民主党、社民党あたり、真ん中より「結果の平等」サイドだと国民民主党、真ん中より「機会の平等」サイドだと自民党、「機会の平等」ガッツリ推しだと維新といった感じですかね。
実は、これが経済的な左と右(=結果の平等と機会の平等)と呼ばれているものだったりもします。当面は、この軸だけで政治をウォッチしていって、慣れてきたらこれに安保(国防)意識とか、個人か共同体かという別軸もクロスするとより理解が深まったりはするのですが、それはまた今度にでも。
まとめ
・政治=ルールをつくって、ルールを機能させること
・政治を行うのは自分自身の権力を託した自分の代わりになる者(選挙で選ばれた代表者)
・政治の判断軸は、自分自身や社会にとって「結果の平等」が大事なのか「機会の平等」が大事なのか
毎朝うんこを食わなければいけない、というようなことにならない程度に政治を楽しんでみることをオススメします。